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「本当の労働組合」づくりを。

○○○○○○○○○○○○○○○小越洋之助のページ


「現代労働組合研究会」のページへようこそ。



information新着情報


2022年04月29日(固定)
「労働組合とは何か―TOP」のページを新設
――木下武男著、岩波新書で発刊)、2021年3月19日、刊行。
2024年01月01日
❖新ページ――大日本印刷に印刷ユニオンの旗を――❖全印総連・印刷ユニオン、大日本印刷分会の結成。
大日本印刷に印刷ユニオンを――分会の闘い
2023年8月31日
❖新ページ――「あたり前の労働組合を」つくろう。(TOPページ)
2023年8月31日
❖新ページ――大企業職場に「あたり前の労働組合を」
2023年8月31日
❖新ページ――新「インフォーマル組織の過去・現在」
2023年07月13日
ABCマートが5000人時給アップ、パート女性1人の声がきっかけだった「賃上げまでできるんだ」――【 #非正規春闘 】(青木耕太郎【7月13日、twitterでの発信】――総合サポートユニオン
2023年10月26日
◇差別待遇、結婚退職強制、労働時間・生理休暇・産休・育児などの権利するために ◇『婦人労働者の権利』(籾井常喜著・東京都立大学教授:当時)▽労働旬報社、1967年4月10日、労旬新書11 
2023年9月19日
「75年婦人労働読本――(黒川俊雄、嶋津 千利世、柴田 悦子ほか『賃金と社会保障』、1975年05月10日号、婦人労働問題研究会)  「77年婦人労働読本」――(嶋津千利世、伊藤セツ、桜井絹江 ほか『賃金と社会保障』、1976年11月125日号、710号、婦人労働問題研究会)
2023年10月11日
初めて体系・理論的に分析――「講座現代の婦人労働」(黒川俊雄, 嶋津千利世, 犬丸義一編 労働旬報社, 1978年6月~12月、全4巻、四六判箱入り)
「婦人労働問題研究会」から「女性労働問題研究会」へ。
2023年9月20日
◇全日自労とともに、生きんがために歩んだ女たち。 ◇『おふくろたちの労働運動』(全日自労建設一般労働組合編、労働旬報社、1986年7月31日) 
2023年10月02日
◇婦人争議と労働組合運動の課題――東京労働争議研究会(『労働法律旬報』、1982年5月25日、 5月下旬、No.1048)
2023年10月02日
◇沖電気の指名解雇撤回闘争を闘った女性たち――1978年11月21日~1987年3月31日
2023年10月02日
『されど忘れえぬ日々 日産自動車の男女差別を撤廃させた12年のたたかい』(中本ミヨ 著、かのう書房、1996年2月20日)
2023年10月02日
『この扉は開けさせてみせる 子持ちの女は半人前なんて』(立中修子著、ドメス出版、2003年6月5日)
2023年09月16日
『輝いて、しなやかに――物語 男女差別裁判の40年』(中西 英治、新日本出版社、2002年4月20日)
2023年09月16日
『労働ビッグバンと女の仕事・賃金 自分らしく懸命に生き 女性の権利を主張』(中野麻美・森ます美・木下武男編、青木書店、1998年10月)
2023年09月16日
「労働運動フェミニズム」と女性の連帯組織 (『労働ビッグバンと女の仕事・賃金』、 木下武男稿、青木書店、1998年10月) 
2023年10月23日
「日本の男女差別賃金と同一価値労働同一賃金原則」 (『ジェンダー白書2 女性と労働』、北九州市立男女共同参画センター“ムーブ”編、明石書店、2004年3月25日、A5判)
2023年10月23日
「戦後、高度成長、国際化の中の女性・女性の運動 木下武男稿」『現代日本社会論 戦後史から現代を読む30章』(渡辺治編、労働旬報社、1996年4月5日、A5判、675p+索引16p)
2023年10月15日
『たたかいのルポルタージュ』――総合商社で働き、子産み、そしてたたかった記録・ルポルタージュ(上田裕子著、姉妹社、2021年1月発行、自家版)
はじめに  長女・未生
一九七九年 創刊号『絆』
一九八〇年 二号 『早鐘をうち鳴らせ』~二日で納豆一つ~
一九八一年 三号 子産みの歴史、その一商社の受付の椅子
一九八二年 四号 子産みの歴史、その二 道を拓いた若い小さな力
一九八三年 五号 五・二三の大きな流れのなかで=娘と「ベンセレモス」=
一九八四年 六号 子産みの歴史、その三 「働きつづけたい……」三人目を授かって
一九八五年 七号 子産みの歴史、その四 合併の嵐すぎても
一九八七年 八号 はたらくこと=片道切符の出向=
一九八八年 九号 潜水艦に友を奪われて
一九八九年 一○号 子産みの歴史、その五 迫られた選択
一九九二年 十一号 ソーゴーショーシャ
一九九七年 十二号 高度経済成長を駆け抜けて、いま
二○○○年 十三号 リストラ、私たちの場合
二○○七年 十四号 傍聴記:兼松男女賃金差別事件 彼女たちが立ち上がった理由
二○一一年 十五号 国連女性差別撤廃条約第六次日本報告の審議に立ちあって
 喜寿によせて 孫たちより
 あとがき 次女・菜生
2023年09月16日
「女性の読者」を意識した本づくり――1980年代の出版状況の大変化に抗して(労働旬報社、シーアンドシー出版時代)
2023年09月16日
『仕事おこしのすすめ』(池上惇著、シーアンドシー出版・協同総合研究所、1995年3月)
2023年8月31日
◇ブログ:「ある編集者のブログ」で書いてきたこと。
◇寺間誠治さんが書いた労働運動における「戦略的陥没地帯」をどうするのか(▽2020年5月5日(火))
2021年06月05日
斎藤美奈子さんの書評:「ユニオンは下層労働者が貧困からはい上がるための武器」――『週刊朝日』(2021年6月11日号)(木下武男著:『労働組合とは何か』、岩波新書)書評で紹介!
2022年08月03日
これまでの労働組合論を読む(以下、工事中)
改訂新版『労働組合入門 日本の明日を左右するもの』
(塩田庄兵衛著、カッパBOOKS、1961年3月初版 1966年第42刷 1967年4月改訂)
『労働組合とはなにか』 (大森誠人著、三一新書、1965年2月23日)
2022年07月31日
『労働組合組織論』(篠籐光行著、労働大学新書、1966年7月10日)/国労読本④組織編『国鉄労働者の組織と運動――その歴史と課題』(篠籐光行監修 国鉄労働組合編、労働旬報社、1978年5月20日)
2022年08月02日
『労働組合入門』(坂本秀行著、労働大学新書、1973年11月10日)
2022年09月11日
『労働組合入門』(中林賢二郎著、労旬新書 労働旬報社、1974年4月1日)
2022年09月01日
【補論】新ページへ
日本中の労働組合を破壊した「インフォーマル組織」とは何か
(まだ続く)
       



 



  
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   ▽2023.09.16
   





2023.07.13
青木耕太郎【7月13日、twitterでの発信】――総合サポートユニオン。
  

【 #非正規春闘 】今朝、東京新聞の1面で「非正規春闘」でのABCマートの闘いについて報道されました。
************
ABCマートが5000人時給アップ、パート女性1人の声がきっかけだった「賃上げまでできるんだ」(東京新聞)
 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/262749
全国展開する靴小売店「ABC―MART」の千葉県内の店舗で働くパートの女性(47)が、労働組合に入り団体交渉したところ、パートら約5000人の基本時給が平均6%上がった。物価高なのに賃下げを求められ、一人で声を上げたのがきっかけだ。

 
 
 △上の図版をクリックして、青木さんのtwitterへ

 


 2023.10.26
   


◇はしがき


 戦後、靴下となんとかがつよくなったといわれます。たしかにそういわれるフシほないでもありません。でも、それは、昔にくらべて相対的にそうだというだけの話であって、むしろからかい半分の言葉だといったほうがいいでしよう。とりわけ、男性に伍して働く婦人のばあい、なるほど戦後男女同一労働同一賃金の原則をはじめ、各種の婦人(母体)保護規定が、労働基準法においてすくなくとも法文の上では確立されはしましたが、しかし、実際には、女性は能力がおちる、どうせ結婚までの腰掛けだといった偏見を前提とした昔ながらの婦人労務管理が踏襲されてきました。そして、ごくかぎられたエリートをのぞいてほ、補助的・雑用要員としてしか位置づけられず、陰に陽に差別待遇がつづけられてきました。なかでも中高年ないし既婿婦人労働者になると、〝月給どろぼう″のかげ口もたたかれ、よほど気の強い御婦人でないと、いずらいフソイキすらつくりだされてきました。
 とくに、この数年来、経営者側がごりおしにおしすすめてきている〝合理化″攻撃のなかで、その傾向がつよめられ、露骨化さえしてきています。おのずから、婦人労働者の権利があらためて問題にされざるをえない状勢がつくりだされてきています。それだけにまた、不十分ながらも、婦人労働者の権利をまもるたたかいが組織化されだしてきました。
 もちろん、そのたたかいを拡大し支える力は、婦人労働者みずからの怒りとそれを組織化し、かかえこんでいく組合運動の展開以外ありませんが、そのばあいの組織化、たたかいの糧として婦人労働者の権利についての理解をふかめるための学習活動がどうしても必要になってくるでしょう。みずからの権利についての自覚のないところには、権利侵害にたいする怒りもたたかいのエネルギーもわいてこないからです。
 そのような実践的関心にうながされ、労働旬報社編集部にこわれるまま、先に本書と同じ題名の小冊子を書きました。それに若干の手なおしを加えたのが本書です。もっと徹底的に再吟味したい気持はつよいのですが、残念ながらいまのところその時間的余裕をみつけることができません。しかし、すこしでも活用してもらえばそれだけで満足です。
 一九六七年三月八日   著者




 
 

    
▽本文は、以下のPDFで読めます
    (クリックしてください)。

 
  
       (全文がPDFで読めます)




      
(この新書判シリーズは、主に川崎忠文さんが担当していました)








   ▽2023.09.16
    

2023.09.19
「75年婦人労働読本」

  賃金と社会保障 = Wage & social security (673) p4-82, 1975-05-10

第1部 75国際婦人年と婦人労働をめぐる諸問題

賃金の男女差別撤廃をめざして--75国際婦人年によせて、黒川 俊雄 (673) p4-6, 1975-05-10
75国際婦人年と婦人労働者の課題--「国際婦人年」と政府・独占の婦人労働力政策批判、嶋津 千利世
労働婦人のたたかいの発展と婦人運動での役割、柴田 悦子
婦人労働の権利闘争とその展望、島田 信義
母性保護の重要性、長橋 千代


第二部 婦人労働者の状態と要求の特徴

婦人労働者の年齢階層別要求について、桜井 絹江
婦人労働者の運動の前進と今後の課題、川口 和子 (673) p21-28, 1975-05-10
婦人の賃金はなぜ低いか、深見 謙介
"不況"「合理化」攻撃と婦人のたたかい、佐藤 洋輔
"不況"下での「合理化」攻撃と母性保護のたたかい、高林 寛子
今日の育児・保育所要求、橋本 宏子

第三部 婦人労働者のたたかいと要求づくり

裁判闘争にみる婦人労働の現状、樋口 幸子
婦人労働者の要求づくりと労働組合運動、佐藤 洋輔
年表 1974年1月~12月の婦人をめぐる動向、婦人労働問題研究会
婦人労働問題文献(1974年1月~1975年3月)、婦人労働問題研究会 (673) p74-75, 1975-05-10




2023.09.19
「77年婦人労働読本」

  賃金と社会保障 = Wage & social security (710) p4-74, 1976-11-25

今日の婦人労働問題の焦点(巻頭)、嶋津 千利世 (710) p4-5,
保護と平等・婦人労働者をめぐる今日的課題("第3回婦人問題についての婦人研究者の集い"より)<シンポジュウム>、 (710) p6-24
討論 「保護と平等」をめぐって、 (710) p11-16
報告 家事労働の変容と当面の民主的変革のなかでの家事労働の改善、伊藤 セツ (710) p17-20
討論 家事労働の社会化をめぐって、 (710) p21-24, 1976-11-25
報告 婦人労働問題の統一戦線的視野からの検討、桜井 絹江 (710) p7-10
「保護」と「平等」の国際的動向--ILOの論議を中心に木村 愛子 (710) p25-28
国際婦人年国内行動計画にたいする要請行動、高林 寛子、 (710) p29-32,
婦人労働者の賃金、後藤 実 p33-40,50, 1976-11-25
婦人労働者と職業教育・職業訓練、ねじめ まさ子(710) p41-45
日本信託銀行における賃金差別是正のたたかい(職場レポート)、高橋 まり、
中居 多津子 賃金と社会保障 = Wage & social security (710) p51-55
商社における人べらしと婦人の状態(職場レポート)、岡杉 里子、(710) p56-58,
資料 就業における男女平等について--就業における男女平等問題研究会議報告書(昭和51年10月)、 (710) p59-60
資料 雇用における男女の機会の均等と待遇の平等の促進に関する建議(1976年10月5日)、 (710) p60-61
資料 市川房枝氏発言--参議院決算委員会会議録第3号(1976年6月16日)、(710) p61-62
年表 1975年1月~1976年9月の婦人をめぐる動向、婦人労働問題研究会 、(710) p63-74






 2023.10.10
   


◇「講座現代の婦人労働」 / 黒川俊雄、嶋津千利世、犬丸義一編。


『婦人労働者の賃金と雇用』(第1巻、労働旬報社、1978年6月)
現代的貧困と婦人労働者 黒川俊雄
賃金の男女差別と同一労働同一賃金の原則 深見謙介
婦人労働者の低賃金と最低賃金制 後藤実
婦人雇用問題と雇用保障制度 加藤佑治
婦人労働における差別撤廃と民主的改革 柴田悦子


『男女平等と母性保護』(第2巻 労働旬報社、1978年7月)
男女平等と母性保護論 嶋津千利世
日本における母性保護と平等 島田信義
諸外国における男女平等と母性保護の制度 木村愛子
母性破壊の実態と母性保護要求 高橋菊江
男女差別と平等要求 川口和子


『労働者の生活と家事・育児』(第3巻 労働旬報社、1978年8月)
労働者家族の生活 布施晶子.
労働者階級の家事・育児要求 伊藤セツ
婦人労働者と保育問題 橋本宏子
農家婦人の労働・生活と要求 美土路達雄
商工自営業婦人の生活と要求 君塚宏
婦人と社会保障 小川政亮


『労働運動と婦人労働者』(第4巻 労働旬報社、1978年12月)
婦人労働者の運動と統一戦線 明野進
戦前の労働組合婦人部の活動 桜井絹江
日本における無産婦人運動の成立と展開 米田佐代子
婦人労働者の歴史的国民的地位 犬丸義一
(このシリーズは、木檜哲夫さん・佐方信一さんが担当していました)






2023.10.11
「婦人労働問題研究会」から「女性労働問題研究会」へ。

  賃金と社会保障 = Wage & social security

 「婦人労働問題研究」は労働旬報社で1982-1991年1月まで発刊されている(国会図書館調べ)。
 その後は、現在も継続中で「女性労働問題研究会」として自立して、「女性労働問題研究」として号を重ねている。この事実は大変なものだ。
 1980年代には、労働旬報社としては「5000部、刷れる企画」が社是(Y社長の明言)となっていて、それをクリアする企画本として成立しなかった。
 http://ssww.jp/
 「女性労働問題研究会(SSWW)のホームページにようこそ」
 女性労働問題研究会は、男女平等と均等待遇の実現、女性の解放をめざして労働と生活に関わる問題をジェンダーの視点から研究し、その成果を運動や実践に活かすことを目的としています。










 2023.09.20
   


◇女性たちの裁判を〈リレー史観〉とでも名づけたい、歴史へのまなざしで綴る。


 あとがき

 「六○年間、女はひっこんでおれ、ということで黙っていたのだから、あと百までの四○年間は大いに出しゃばっていく。子や孫のために何ものこすことはできないが、『お母さんは貧乏をなくすために、よい社会をつくるために活動した』ということだけはのこしたい」(本文七九ページ)
 このおもいは、私たちみんなのおもいです。
 私たちの運動は、“五目ごはんの労働運動”でした。“ゆりかごから墓場まで”文字どおり、ありとあらゆる問題にとりくみ、かめばかむほど味わいが深くなるのです。その味がどれだけだせたか、不十分なところも多い本だと思いますが、なかまの“こころ”だけは、なんとか伝えることができたし、かならず、これからのたたかいの力になる本ができたと思っております。
 建設一般全日自労婦人部の歴史をつくりたい――これは 何年も前からの念願でしたが、この七月いっぱいで、七○歳以上のなかまが失対事業から去らねばならなくなり、その前に、なんとしても歴史をまとめようと決めたのは四月のことでした。
 このため、全国のなかまや、各方面の方がたに、たいへんご無理をおねがいしてしまいました。せっかく寄せていただいた原稿や写真を、紙数の関係で割愛させていただいたこともありました。ここで、お礼とおわびを申しあげます。
 また、執筆していただいたみなさんをはじめ、法政大学大原社会問題研究所の大野喜実さん、労働旬報社の柳沢明朗さん、飯島信吾さん、建設一般全日自労教宣部の栗山嘉明さん、松沢常夫さん、高島行一さんなどに、たいへんお世話になりました。
 戦争と失業と貧乏のない社会、子どもたちがすこやかに成長できる社会を希求するすべての人びとに、この本を読んでいただき、感想などをよせていただければ望外の喜びです。
 生きて生きて、たたかってたたかっていく誓いをこめて――。

          全日自労建設一般労働組合婦人部長 松沢悦子






◇発刊当時の『新婦人しんぶん』で紹介される(日付不明)。




































   

 

   


    
▽本文は、以下のPDFで読めます
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       (全文,【序】がPDFで読めます)
  
       (全文,【第一部】がPDFで読めます)
  
       (全文,【第二部】がPDFで読めます)
  
       (全文,【歴史】がPDFで読めます)




      



   ▽2023.10.02
    

2023.10.02
婦人争議と労働組合運動の課題 東京労働争議研究会

  『労働法律旬報』 (1982年5月25日、 5月下旬、No.1048)

「婦人争議」のたたかいの軌跡と到達点--1960年代後半から81年まで / 中本 ミヨ / p63~69
労働争議下の婦人労働者と争議解決後の課題--ニチモウキグナス労組婦人部の経験 / 長崎 満 / p69~73
労働運動と婦人争議と民主主義 / 清水 明 / p73~75


 ◆「東京労働争議研究会」の経験
1980代、東京争議団共闘会議運動をになった人びと――争議団当事者・卒業者、労働組合運動家、弁護士、フリーのジャーナリストなど――が、それぞれの争議の経過・背景資本分析・争議の社会的役割・争議団内部の団結・運動潮流を超えて争議支援を勝ちとる取り組み、勝利の要因の姿など、自発的に「東京労働争議研究会」(代表委員・清水明、市毛良昌、佐藤一晴、渡辺清次郎。小島成一弁護士他)をつくって研究していた。
 当時は、沖電気争議などがまだ、全国展開してたたかわれていたときだった。
 
 「東京労働争議研究会」は、10人近い人たちが運営委員会を弁護士事務所や全造船会館などで開き、毎月に近い例会報告を組織していた。編集子はその速記録を『労働法律旬報』に掲載するため、当番みたいな編集をになわされていた。その後、K編集長のもとで引き継がれ、2002年の研究会報告は52回を重ねている(いつまで掲載されているのか未取材)。




   ▽2023.10.11
    

    ❖沖電気争議のページは、ここをクリックしてください。

   





 




▽2019.06.10
  
 ◆PART Ⅲ

 




 ▽2019.06.10
 











 
   





 ▽2019.06.10
 
           ◇ドキュメント 沖電気争議



 編集 中村悟郎
 装本 粉川道博
 発行所 日本電波ニュース社



  △クリックするとPDF版で読めます。


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 ◆PARTⅡ
 


▽2019.06.10

 





◇指名解雇の沖電気で職場からのたたかいが

発行者 指名解雇裁判を傍聴して仕事差別された浅利・中山さんを守る会








  
 
   




▽2019.06.10

 





◇指名解雇の沖電気で職場からのたたかいが

発行者 指名解雇された仲間と浅利・中山さんを支援する沖電気の会









 
  





2023.10.02
   


◇日産自動車のにがい歴史。

 はじめに

 「ああ! 中本さん やっとつかまった。最高裁判決出ました。勝ちましたよ!」
という聞き覚えのある共同通信のM記者の声が電話の向こうから聞こえてきました。ひと
ことコメントを、といわれましたが咄嗟(とっさ)には返事もできず、ああ、やっとという思いでいっぱい……、「ほっとしました」としか答えられませんでした。



一九八一(昭和五十六)年三月二十四日、この最高裁判決の出た日わたしは、職場の仲間と一緒に街頭にいました。というのは、東京・杉並区内で企業閉鎖による解雇、差別、不当労働行為などに反対してたたかっている労働者、労働組合が連帯して行動する総行動(統一行動)の日であったからです。
 一九四一(昭和十六)年から六九年一月に、日産自動車㈱の定年制の男女差別(男性五五歳、女性五○歳)で職場を追われるまで、通算二十八年間通勤し、住んでいた馴染み深い土地で偶然にも長かった裁判の妓終判決を聞きました。マスコミも一般の人びとも、定年差別の十二年の長さを取り上げていますが、定年問題は、一九四九年からの不当労働行為本件の審理途中から併合されたもので、じつに三十二年間の長期裁判の決着だったので
判決の後、マスコミや多くの人びとに“よくもそんなに長い間、張ってきましたね、どうして?”と必ずといっていいほど聞かれました。言葉を変えていえば、一つのことに執拗にかかわってきたのはなぜかということでした。わたしは“なりゆきで”としかいえませんでした。
 この判決にもとづいて組合は、会社にたいし全面解決のテーブルにつくことを求めるとともに、幅広い行動に取り組みました。
 マスコミをふくめた世論におされ、さすがのかたくなな会社も四月に入ると「中本さんの六○歳までの雇用を認める。話し合いで解決したい」と表明してきました。

 協定響に調印し、最終的に終わったのは、判決から約四カ月後の七月二十七日です。
 「解決金をふくめて一五九○万円を支払う」「五○歳から六○歳までの厚生年金保険料は、中本個人の払い込み分もふくめて会社が支払う」。
というのがおもな内容です。
 十年間の未払い賃金と退職金、運動の費用をふくめて千数百万円は低過ぎる、という意見や論議がありましたが、わたしは“みんなの支援で、一応生きて来たのだから、むしろ今後の生活を考えて「年金」問題をきちんとしたい”と要望し、認められたわけです。
 この間、わたしは、ほとんど考える暇もないほどの忙しさ、家にいるのは、四~五時間の寝る時だけの生活がつづき、ほとほと疲れていたこともあって、これ以上は無理というのが正直な気持ちでした。
 この男女の定年制差別の裁判は、マスコミなどでいろいろ取り上げられ、見る人によってはまるでわたしは時の人のような扱いを受けましたが、終わったときはすでに六二歳、女性の定年を延長させ獲得した男性と同じ六○歳ではありましたが、すでに定年を過ぎること二年、ついに職場にはもどれませんでした。それでもこの判決によって、日産内の女性労働者に直接的な利益をもたらしたのだし、その他多くの企業でも延長を認めさせたの
だから本望だと人にもいい、自分にも言い聞かせたものでした。しかし、時がたち、日が過ぎるにつれて本当にこだわりつづけたのはなんだったのか、ふとむなしい気のするときもあって、いつかこのことを整理して見ようと思っていました。
 ふりかえってみると、物心ついた頃からいやだと思ったこと、理不尽だと納得できなかったこと、悩んだことの多くは、そのときの社会状況と不可分に関連がありました。自分が意識する、しないにかかわらず、社会のなかで生きているし、現在もまたこれからもそのように生きるのだと思います。
 ただ昔と違うことは、金も名も地位もない、わたしたち一人ひとりが、自分さえその気になれば、社会を知り、社会を変える行動に参加し、ささやかでも歴史を動かす力さえだれにもあるのだということを、わたしのつたない文章のなかから汲み取っていただけたらこんなにうれしいことはありません。
△カバーの「読書する少女」の絵は中本さんが、織った絵織のタペストリーです。
カバーデザイン‥中本 明




 
 






 2023.10.02
   




◇東洋鋼鈑・出産配転・解雇事件主任弁護士として。

 序にかえて
                    岡村 三穂

 東洋鋼鈑立中事件は、私の三〇年余りの弁護士生活のなかでもっとも印象の深い事件です。
 産休中の立中さんに対して東洋製罐・東洋鋼鈑綜合研究所の人事課長が下した「子どものいる女は半人前だから、産休あけから寮のまかないになってもらう」との配転命令、さらにその配転命令を「当該女子従業員の実質労働能率の低下を予想し、……措置することも企業運営上許される」とした仮処分東京高裁判決、当時まだ弁護士三年目であった私は、この判決をそのまま確定させてはならないと全身が震える思いでした。
 横浜地裁に本訴を提起して再度法廷闘争に挑むとともに、敢然と運動に立ち上がった立中さんの、それからの活動には目を見張るものがありました。神奈川県内の運動にとどまっていたところから、本社のある東京にも活動拠点ができ、さらに工場のある山口県下松にも運動の輪
は広がっていったのです。このときの決意を立中さんは本書で次のように述べています。「とにかく自分の頭で考えなくては、前に進めません。自分がたたかっている相手より、大きな力をつくること。これが大事ではないかと考えました」。
 そして一九七九年に国連で女性差別撤廃条約が採択され、翌年には日本政府も署名するといった国際的な動きと呼応しあって、立中事件はマスコミにも取り上げられるようになり、ついに横浜地裁で和解の日を迎えることになったのです。
 七四年一二月の本訴提起から八〇年二月の和解成立までの五年余り、幼い子どもたちをかかえた争議は苦労も多かっただろうと思います。しかし私は立中さんが嫌な顔をするのを見たことがありません。むしろ楽しそうにさえ見えました。立中さんは再三にわたって、「私は人宝に恵まれていました」と語っています。先輩の教えてくれた 「悲観的にものをとらえると運動はしぼむ、前進的にとらえると運動は発展する」との言葉を大切にし、厳しい情勢のなかでもその言葉を思い出して頑張ってきたのです。
 立中さんは八〇年四月に子会社の(株)鋼鈑ビルに事務職として職場復帰し、私たち弁護士の役割も一段落したのですが、九五年二月に私たちを解決一五周年の集いに招いてくれました。
そのときに受けた爽やかな印象は今も鮮やかです。着物姿の立中さんは、雛壇から、職場復帰後に待ち受けていた賃金差別を是正させたと報告して、皆から盛んな拍手を受けました。その後に立中さんは参加者を順次紹介し、一人ひとりのたたかいと活動を丁寧に説明していきまし
た。その説明を聴いた私は、立中さんが自身の差別賃金是正のみならず、多くの労働者の相談相手となって争議の支援をしてきた一五年間の軌跡を知りました。
 全国一般・神奈川から全国一般東京地本・中部地域支部に移籍し、書記長の問いに「一人でも労働組合の看板を背負って運動できる合同分会をつくりたいです」と答えた立中さんは、「(自身の)争議中に〝駆け込み訴え″を認めた中労委の命令を、こんどは運動に生かしていくということでしょうか。脈々とつなげていく労働運動にはロマンがある、そう思います」と語っています。
 〝子持ちの女は半人前〟という偏見とたたかった東洋鋼鈑立中事件、それにつづく幾多の事件を経て、九一年には育児休業法(後に育児・介護休業法に改称)が成立、その後改正が重ねられてきています。原点ともいえるこの事件を本書によって多くの人々と共有できることは、私にとっても大きな喜びです。
         (東洋鋼鈑・出産配転・解雇事件主任弁護士)
  二〇〇三年一月

◇子持ちの女は半人前なんて。
 

 はじめに
 私はこれまで〝女だって一人の人間として働いて生きていきたい〟と歩みつづけてきました。
そして今、ふと歩みを止めてまわりを見まわしたとき、女性が結婚しても出産しても働きつづけることが、まるで当たり前の時代になつてきたことを感じます。育児・介護休業法も、国じゅうの女性たちを中心にした運動で実現している世の中になりました。
 私たちの世代の女性が、結婚しても出産しても働きつづけようとするときに立ちふさがった厚い壁は、すでに取り払われたといって過言ではないと思います。
 かつて私は、鉄鋼関連会社の東洋鋼鈑(株)の従業員として、働いていた東洋製罐・東洋鋼鈑綜合研究所(横浜)を〝子持ちの女は半人前″といわれて職場を追われました。裁判に訴え、一一年近くたたかって職場にもどりました。
一九七五(昭和五〇)年、国連で国際女性年が提起された年に、私はたたかいを広げるためにパンフを発行しました。そこに、今は亡き永井智雄さん(俳優)から激励のメッセージをいただきました。「立中さんのことが、昔話になるように」という言葉の入ったものでしたが、いまや本当に私のたたかいは昔話になってしまったように思えます。
 私が職場を追われたのは六九年六月、二五歳のときでした。裁判でのたたかいは一一年の長期におよび、八〇年四月、東洋鋼鈑(株)の子会社である、(株)鋼鈑ビルに復帰したとき、私は三六歳になっていました。職場にもどってからすでに二三年、今では、当の東洋鋼鈑でも、結婚しても働きつづける女性が増えてきています。本当に女性たちは大きく変わりました。新たな困難が生まれてはいるものの、時代は変わってきていると思います。そして、〝本当にたたかってよかった″そう思います。
 最近、東洋鋼鈑本社に入社したばかりの女性と、昼食をともにしながらおしゃべりしたときのことです。彼女に私の経歴を聞かれたので、ありのままに私の体験を話しました。
 すると 「もどれたってことは会社に勝ったってことですか?」とびっくりしたようにいうのです。「そうよ」と答えました。すると「ワーッ カッコいい」といってパチパチと大きな拍手をして喜んでくれました。その彼女に 『平等へのロマン』(学習の友社、一九九四年)に書いた私の手記を読んでもらいました。その感想をたずねたところ、「立中さんは会社のことを本当に大事に思っているんですね」というもので、私はすごくうれしくなりました。
 私がたたかってきたのは、会社が憎いとかいう次元でなく、働きつづけたい、女性が安心して働いていける職場にしたいという一心だったからです。そんな私が「働くことは生きること、生きることはたたかうこと」を座右の銘として、たたかって職場にもどった一人の女性として、生きてきた歩みと実際に経験した事実を記録して残しておこうと考えるようになりました。
 私は五九年、一五の春に岐阜市の川島紡績に入社し、働きながら企業内の高校を卒業して六二年四月上京。さらに働きつづけて現在にいたるまで、思いもよらない経験にさらされながら生きてきました。
 なぜ働くことにこだわりつづけてきたのか。それは、私のルーツにつながる女性たちの生きた歴史が、女性も経済的に自立することの大切さを考えさせてくれたからです。
 とりわけ母の姿は、お家大事のしがらみにしばられて、自分の人生を生ききれなかった女性の反面教師として、私に自立した人生を歩みつづける大切さを教えてくれました。また子どもの頃に、経済的に他人に寄りかかることの怖さを知ってしまったことからくる私の自立心の強さがあるかもしれません。
 私のたたかいは、同じ世代を生きた女性たちの共感をともない、世論を味方にした大きな運動になって会社を追い込み、職場復帰という実りある勝利をかちとりました。そしてたたかったからこそ、私はかけがえのないたくさんの「人宝」を得ることができました。
 職場にもどってからのほぼ一〇年は、賃金や仕事をまともにさせるために、ひきつづきたたかいの連続でした。今ふりかえると、その間のとりわけ争議解決後の約束だった賃金の是正の先延ばしという会社の仕打ちがありました。そこには、私と、そして私とともにたたかった労働者の勝利感を打ち消してしまいたい、会社のずるがしこい思いがあったことがよくわかります。
 私の賃金がまともに是正され始めたのは、私の逸失利益が累計でおよそ一五〇〇万円ほどになったときからでした。何とその額は争議の解決金そのものの額だったのです。一一年間の争議の解決金を、こんどは会社がほぼ同じ期間かけて奪い返したのですから、その執念たるや言葉もありません。職場復帰はもちろんのこと、一五〇〇万円という解決金について、職場の人たちから長いこと、よると触ると話題にされたものでした。そこには羨望(せんぼう)の眼差しと嫉妬が入り交じっていたと思います。それ以上に運動資金がかかったこと、裁判の弁護費用、争議解決報告の諸費用、借金の返済で、最終的に本人の手元に残ったのは三分の一を切る額でした。
 当事者としてはお金などより職場を取りもどしたこと、働いて食べていけるようになった喜びの方がずっと大きかったのですが、人によっては解決金の大きさがいつまでも残ったようです。そのことは逆に、以前よりも強く、勝利の大きさを私に実感させてくれました。
 職場にもどって二三年を経た今、賃金も人並みになりましたし、仕事についても、(株)鋼鈑ビル事務室長として、毎月の決算から年度末の決算、そして法人税の申告まですべてまかせられて働けるようになりました。
 もうまもなく定年になろうとする今、私が確信をもっていえることは、人生思うようにはいかないけれど、自分の足で歩んできた足跡だけはしっかりと残るし、次の時代につないでいける歴史のひとこまになれるのだということです。
 二〇〇二年五月、私のたたかいの原点でもあったかけがえのない息子が死去しました。そのとき、私の生き方はこれでよかったのだろうか、と悲嘆にくれながら思いつづけました。もう私の人生も終わりではないかとさえ思いました。しかし、その私を支え、悲しみから立ち直らせてくれたのは、私と一緒に苦楽をともにし、家族を大切に思ってくれている夫であり、ともにたたかってきた仲間たちでした。   
 仲間たちは、自分の悲しみや苦しみを語り、一緒になって私の悲しみを分かち合ってくれました。そしてまた、働いて生きていることがこんなにも力強いものであったかと、打ち込める仕事が、悲しみから私を救ってくれたことに気がつきました。あらためて今、たたかって働いて生きてきて本当によかったと思うのです。

  二〇〇三年一月
                         
                   立中 修子(たちなかしゅうこ)






 
 


◇あとがき
 

 あとがき
 幼い頃から私は本が大好きでした。本に魅せられてわくわくしながらの読書は、私に苦しいこと、悲しいことがあってもそれを忘れさせてくれました。大人になってからはとくに、佐藤愛子さんの本に励まされたものです。どんな不幸があってもアハハと笑い飛ばし前向きに歩んでいく小説の主人公に、自分を重ね合わせてたたかってきた私でもありました。
 不運は面白い、幸福は退屈だ(佐藤愛子・海竜社)という域に達するには、私にはまだ時間が必要のようですが、どんなことがあっても自分の可能性を信じて生きることを学んできた私でした。
 そんな私が、自分史を書いて本にするということになってはじめて、本を出すということはこんなにも大変なことなのかと思い知らされたのです。やはり何事もやってみなければわからないものだと痛感しました。
 女性が理不尽なこととたたかうということも同じことのように思います。自分史がほぼまとまった頃、本棚から『悩みを語ってたたかいへ』(千代田婦人交流会発行、一九八一年)というパンフが出てきました。私も職場復帰してまもなく、けっこう生々しくこんなことを書いているのです。
 「……自分の生き方を主張したたかうことに対して、〝女のくせに″といわれ、支援の人たちに気持ちよく参加してもらおうと、努めてにこにこしていると、〝男に媚びを売る〟といわれ、たまにオシャレすれば、〝カンパで支援されているくせに″といわれる。また、会議のすんだ後など二次会に参加しないと〝お酒の付き合いもできないようでは勝てない〟といわれ、お酒に付き合うと、〝あれでは旦那がかわいそうだ″といわれる。
 家庭に帰れば〝俺に食わせてもらっているくせに生意気いうな″といわれる。とにかく運動のなかで、生活のなかで男性だったら見過ごされいわれもしないことを、女性なるがゆえにいわれる……」
 しかし、長い歳月の間にいやな思い出はすっかり消え失せて、楽しかったことばかり思い出されます。人生のなかの七割が苦しくつらいことであっても、楽しいこと、うれしいこと、感動することが三割あればそちらの思いのほうが膨らむもののようです。しかし、やはり私のように大変なたたかいをしなくても、女性が安心して働いていける社会にしなくてはと強く思うのです。
 私はこの本のなかに書ききれなかった、もっとたくさんの方々や、所属の労働組合の仲間たちとの数え切れないほどの心温まるふれあいがあり、すべてを伝えられないのは残念でなりません。本当に多くの方にお世話になりました。感謝の思いでいっぱいです。
 二〇年ほど前にたたかいの資料を整理しファイルしてくれていた、神奈川婦人運動史研究会の渡辺泰子さん。表紙のタイトルを書いてくれたウイメンズステージのメンバーで書道家の森谷明仙さん。運動を通してふれあいを深めたお二人の協力に心から感謝します。写真家の若橋一三さんには今回も写真の使用を快く了承していただきました。
 そして本の出版を引き受けてくださったドメス出版・編集長の鹿島光代さんと、書き始めからずっと根気よく優しく、ときには厳しくお付き合いいただいた編集者の矢野操さんの熱意に、心からの敬意と感謝のお礼を申しあげます。.
 最後に、夫の権上薫に対しても感謝の気持ちを込めて私の自分史を贈ります。
  二〇〇三年二月八日
  和解成立記念の日に
                     立中 修子





 
 
 












   ▽2023.09.16
   


 ◇編集子は10年ほど前から「現代労働組合研究会のページ」を立ち上げ、あたり前の労働組合・労働者の闘い・運動の歴史、労働問題・労働法・社会政策・協同組合学会などで活躍した個人の業績、労働問題・労働組合運動のBOOK紹介などをWEBとして発表してきた。
 その中で「女性労働の闘い」をUPしたいと思っていた。個人としては1970年代中葉の婦人労働問題研究会の編集に参加し、1980年代に東京労働争議研究会の中での「日産・中本さん」「東洋鋼鈑・立中さん」の闘いについて取材してきた。しかしその後は、他の分野の編集をしてきて、縁が薄かった。
 そこで古い友人の上田裕子さん(現代ルポルタージュ研究会)にまとまった本がないか相談したら、本書を推薦してもらった。
 その後、共産党の本部、新日本出版社に連絡したら「教えられない」といわれ、そのまま中断したままだ。
 ご連絡先をご存じの方がいれば、メールください。
 sin_ryo11731アットyahoo.co.jp(アットを@) 





2023.09.16
 


◇女性たちの裁判を〈リレー史観〉とでも名づけたい、歴史へのまなざしで綴る。


 まえがき

 「涙は女性の最大の武器というからね」。小泉純一郎首相のこの言葉は、わが国の支配層の抜きがたい人権センスの欠如をしめすものだった、と思います。田中真紀子外相の更迭を転機として、これまで驚異的な内閣支持率をささえていた女性を中心に、「小泉ばなれ」がおこったのは当然でした。
 ところで、この支持率低下をめぐる政府自民党や与党の反応のなかに、「一過性のもので、やがて回復する」というものがありました。しかし、女性の支持率にかぎっていえば、「それはない」と断定して、おそらく間違いないでしょう。
 著者がそう考えるのは、さまざまな男女差別裁判の取材をとおしてえた、一つの確信があるからです。ある女性は、「新工場に女はいらない」といわれたことが許せず、十四年もの長い裁判をたたかいました。解雇をいいわたされたこと自体よりも、「話はすんだ、はよ帰れ」と、ハエでも追い払うようなしぐさをされたことを、けっして忘れなかった女性もいます。裁判への引き金を引き、原告を深いところで突き動かしているのが、ただ一つの言葉やしぐさであることは珍しくないのです。裁判はぼう大なエネルギーと時間を要しますが、「許せないもの」を裁くためなら、どんな犠牲もいとわない。その怒りは、「気の遠くなるような」長い裁判であろうと持続し、時によっていやされることはないのです。女性とは、いや、人間とは、そういうものです。「涙は女性の武器」「支持率低下は一過性」とおっしゃった方は、いっちゃ悪いが、人間をご存じない、というほかありません。

 女性たちは、「武器としての涙」ではなく、「武器をもたないゆえの涙」を流してきたし、いまも流しています。それを何より雄弁にしめすのが、男女差別をめぐって争われた多くの裁判です。
 一九四五年の敗戦を境に世の中が変わったといっても、民主主義というものは、そうたやすく暮らしに根づくものではなかったし、まして憲法は工場の門から中へなかなか入ってきませんでした。かって、「女工哀史」の女性たちは〈篭の鳥より監獄よりも 寄宿ずまいはなおつらい〉とうたいましたが、本書に登場する日立武蔵の寮生活は、一九六○年代の日本にもなお「女工哀史」的現実が生き残っていたことを物語ってくれます。女性労働者たちは、憲法や労働基準法があっても、それだけで守られることはなく、有名な近江絹糸争議(人権争議)が典型的にしめすように、みずからたたかうことで「自分らしく生きる権利」を一つまた一つと、手にいれていくしかなかったのです。
 労働条件をめぐる女性たちの行動が裁判の形をとるのは、一九六○年代からです。それまでも労働裁判に女性がくわわった例はあります。しかし、女性であるがゆえに受ける差別を不当として、女性自身が裁判で争ったのは、一九六六年に〈結婚退職制は憲法違反〉の判決をえた住友セメントの例が最初です。それは、結婚や出産をめぐる女性差別だけでなく、それにつづく賃金や諸権利をめぐる裁判をふくめて、〈男女差別裁判〉すべてのリーディングケースとなりました。〈住友セメントの鈴木節子さんが結婚退職制を不当として法廷闘争を展開したときから、戦後女性の解放の歴史はあらたな夜明けをむかえた〉とジャーナリスト増田れい子さん(「女性昇格時代」)がいうとおりです。

 以来、四十年近い歳月をきざんできました。本書は、その間の女性たちの裁判の歩みを、登場人物たちの「物語」としてたどるものです。この半世紀ほどの間、女性たちが何によって涙を流し、何を願って、どう生きたかを、読者とともに追体験したい、という願いからこの本は生まれました。このように女性たちの裁判の歩みそのものを全体としてとらえた本は、著者の見るかぎり、あまり見あたらないようです。個別の裁判については、闘争記録やパンフレット類がつくられていますが、一般に入手しやすいものではありません。裁判の歴史がわかるものでは、坂本福子編「平等へのロマン 働いて、たたかって」(学習の友社、一九九四年)の名著がありますが、必ずしも歴史の流れをえがくという視角からのものではありません。朝倉むつ子・今野久子著「女性労働判例ガイド」(有斐閣、一九九七年。近く改訂版刊行予定と聞いています)によれば、法律専門書の世界でも、男女差別裁判の判例はすでに大堂にのぼるにもかかわらず、〈これまでは、労働法の領域において、分散してとりあげられるにすぎなかった》ということで、どうやら、男女差別裁判の歴史という問題視角は、「あるようでなかった」領域、といえるようです。
 だとすれば、そこから見えてくるものにも、いささかの新しさがあるのではないか、というのが著者のひそかな期待です。本諜が提示しようとするものをあらかじめ示せば、三つあります。
 第一は、〈リレー史観〉とでも名づけたい、歴史へのまなざしです。女性たちの裁判の多くは、一つ一つを見れば、不当な差別にたいする私的な怒りから出発します。しかし、結婚退職制裁判のあとに三十歳定年制の裁判がつづき、さらに「第一子出産解雇」裁判がつづくというように、客観的にみればそれらは、リレーのバトンタッチのように引き継がれながら女性の権利をひろげ、この国を進歩させてきました。まるで一つの壮大な叙事詩のように、これほど鮮やかに、「虐げられたものの多年のたたかいによって権利はつくられる」ことを示した歴史は珍しい、と私は思っています。
 第二は、いわゆる「女性史」を少し別の角度から見ようとする視点です。先に見たとおり、彼女たちの裁判は六○年代に始まりました。五○年には就業者中三八・二%だった労働者は六○年には五○・二%と半数をこえ、四人に一人だった女性は三人に一人にまで比重を高めます。「会社社会」へ
と変ぼうした日本で、女性の労働力は欠くことのできないものになった。しかし、欧米に比べあまりに速いスピードでつくられた「会社社会」システムは、そのなかに女性を正しく組み込む仕掛けを欠いた、バグだらけのプログラムであり、「欠陥システム」でした。生理休暇や出産休暇をとるから
「女性労働力は高くつく」、という民間放送経営者の発言がことの本質を告白しています。そうした条件のもとで男女差別裁判は争われたのであり、裁判というものが「権利の侵害」に源を発し、「権利の回復」をめざす争いであるかぎり、一見豊かで自由に見える日本の女性たちが、いかに豊かでなく自由でなかったか、という裸の真実がそこには現れるのです。その裁判の歩みは、職場における法と権利という角度から女性たちの歴史を照らす、独特な一分野をなしている、と思います。
 第三に、《女性の世紀〉となることが期待される二十一世紀への視点です。女性たちの裁判の進みゆきは、国際的には、国連における「女性差別撤廃宣言」(六九年)から国際女性年、国連女性の十年、五回にわたる世界女性会議と着実にひろがった男女平等の流れに重なっていました。「世界がもし百人の村だったら」、この村には五十二人の男性と四十八人の女性以外に誰もいません。しかし、男も女も人間として輝くことのできる地球をめざして、世界が到達した「世界標準」と比べるとき、日本の遅れは大きいものです。女性の賃金はいまでも男性の約半分であり、女性蔑視の習慣や風俗は根強く、管理職や社会的リーダーヘの進出が進まないなど、先進国とはいえない「惨状」です。国連女性差別撤廃委員会やILO(国際労働機関)が日本政府にしばしばきびしい指摘をしているように、そこには、日本社会が早急に解決しなければならない重大な課題がある、と思います。


 本書のもとになったのは、二○○一年十一月十六日から二○○二年二月十日まで、六十六回にわたって日刊「しんぶん赤旗」に掲載された、同名の連戦記事です。出版にあたって、連戦ではとりあげなかった裁判を追加取材したほか、かなり大幅に手をくわえました。
 著者はなにしろ、女性の差別をわが身に引きつけるうえではハンディとなる(?)男性であり、ましてや、法律や裁判については門外漢です。原告やおおぜいのみなさんに、あるときは「そんなことでもすべてカバーできていないのは無論のこと、ケースの選択にもばらつきがあるでしょう。非力な仕事でしたが、それでも、弁護士の今野久子先生によると、「この記事は、判例の流れだけでなく、資本の攻撃や原告の人間も見えるのがおもしろい」とのこと。いわば、本書には、「判例」と「資本の攻撃」と「人間のドラマ」という「三人の主人公」がいる、ということになりますか。〈最近、ある大学で民法と憲法の講義を受講した。どちらの教室も、権利や人権は抑圧され虐げられた人間の多年にわたる苦闘があってこそ確立されたという、核心的なテーマにまったくふれなかった。この連載はそうした教育現場への最良の〃教育″〃資料″だと思う〉という読者のご感想とあわせて、法律にしろうとの本にもいくらか意味があるかな、と勇気をいただいた励ましでした。
 歴史は、私たちが「どこからきて、どこへ行くのか」を語るといいます。いま、男性にとっても女性にとっても、かぎりなく「生きにくい」私たちの日本。多くの人が、これからどう生きれば「自分らしく」なれるのか、思い迷っています。ここに登場する女性たちが、重い扉を一つまた一つと開くように、すすめてきた足どりの確かさと、ヒロインたちの「輝き」こそ、著者がもっとも胸をうたれ記事で強調したかったことでした。自分を全否定されるような差別に怒り、人間の回復へと行動をおこすとき、人は輝きます。これら「しなやかに輝く女性たち」のたたかいや生き方が、人びとにとって、何ほどか明日を生きる力ぞえになれば、またできることなら、女性たちの裁判の前進、自由への歩みの発展に小さなきっかけともなれば、この本の目的は達せられることになります。

 最後に、お世話になった弁護士の坂本福子先生、今野久子先生をはじめ、たくさんの方がたに、この場をかりてありがとうをいいます。何よりも、取材に応じていただき、原稿を仕上げるうえでも方いへんご苦労をかけた各裁判の原告や関係者のみなさんに。連戦に励ましやおしかりをくださった、おおぜいの読者のみなさんに。「しんぶん赤旗」では異例の長期連載に英断をもって「ゴー」を出してもらった編集委員諸氏、ともに苦労し、たくさんの助力をくれた同僚記者誌君に。そして、本書が世に出るうえで尽力いただいた新日本出版社の田所稔さん、二瓶佳子さんにも。

 二○○二年四月
 中西英治









 
  
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2023.09.16
 


◇女性たちの「男女平等の流れを止めず、平等の旗」をかかげて。

はじめに


 いままで倒産するなど考えてもみなかった大企業が経営破綻し、失業率は史上最高を更新している。職場では、リストラに伴う解雇や退職強要、配転・出向・移籍などの人事異動、賃金カットといった労働条件の不利益変更が広がった。いつの時代にもそうだったが、雇用と労働条件が危機にさらされるとき、女性たちはその最前線にたたされてきた。いまでは、女性たちの失業を吸い上げる場は家庭だけではない。うんと安い賃金と、いつでも首切りできる不安定な雇用に、多くの女性たちが流れ込むようになった。そして、女性の貧困化が広がってきた。
 八六年に施行された均等法には、不十分さを指摘する声もたくさんあった。企業は法律の限界を利用して、コース別雇用管理など雇用の多様化と男性並みの働き方を広げた。しかし女性たちは、こうした動きを告発して、産業や職種、雇用形態をこえて、平等への流れを育ててきた。そればかりではない。セクシャル・ハラスメントを女性の労働権を侵害する性差別であることを社会に認知させてきた。これらの取り組みが均等法改正につながって、男女平等の取り組みを強めようというときに、厳しいリストラが本格化してきたのだ。
 どうやらいまのリストラは、低迷する経済への一時的対応策というより、経済のグローバル化に対応して、社会や経済の仕組みを大きく変えるためのものであるようだ。それは、女性たちはあまり利益を受けてこなかったが、安定した雇用と右肩上がりの賃金に象徴される「日本型雇用」を流動化と多様化の方向にシフトさせ、賃金も実績本位に組み直して効率的な労働市場をつくろうというものだ。そのための法的受け皿づくりも急ピッチで、労働時間と貸金、雇用のあり方を変える労働基準法の改正から、労働市場のあり方を変える労働者派遣法・職業安走法の抜本的な見直しも進められてきた。
 そんな大規模な「労働ビッグバン」を前にすると、どうしてもいままで獲得してきた既得の権利を守るだけでせいいっぱいで、いまさら「賃金格差の是正を求めても反発されるだけ」といった悲観論も強くなる。「だから平等はしばらく置いて」という閉じこもり現象も生まれてくる。労働法の規制緩和が進んで法制度が女性たちに味方しないようにみえてくると、こうした傾向にますます拍車がかかって、
 男女平等の流れが足踏みさせられそうだ。しかし、女性たちが退職においやられたり、パートや契約社員への転換を押しつけられてきた経験は、黙っていないで声を上げることの大切さを思い知らせてくれる。二一世紀を展望するからこそ、男女平等を政策の主流におしあげることが求められているのではないだろうか。未来に希望をつなぐためには、平等の旗をかかげて、いまを自分らしく懸命に生きることだ。そうした思いを抱きながら、いろいろな壁をのりこえて女性の権利を主張してきた女性たちが、今年(一九九八年)三月二八日にシンポジウム「労働ビッグバンと女の仕事・賃金」で語り合った。その内容もとに、発言者がいい足りなかったことを加筆した本書が、たくさんの人たちの日にふれて、勇気と希望につながれば幸いである。
一九九八年九月ニー日


編者を代表して 中野麻美









2023.09.16
 


「労働運動フェミニズム」と女性の連帯組織
 木下武男稿

   労働運動にフェミニズムの視点を
 1 企業別労働組合のなかの婦人部
  企業別労働組合の婦人部
  女性の新しい連帯組織
 2 企業別組合の男性中心主義からの離脱
 3 「第二派フェミニズム運動」と日本の労働運動
  第二派フェミニズム運動の「セカンド・ステージ」
  性別役割分業廃棄の課題と労働運動 
 4 労働運動フェミニズムの新しい連帯組織 



       (全文,木下稿がPDFで読めます)





2023.10.23
 


女性・女性の運動       木下武男稿

 1 戦後初期の女性・女性の運動 592
 2 高度経済成長と女性・女性の運動
 3 国際化のなかの女性・女性の運動
 

      



       (全文,木下稿がPDFで読めます)





2023.10.23
 


日本の男女差別賃金と同一価値労働同一賃金原則        
木下武男稿

 1 日本における男女賃金差別の構造
  ⅰ コース別雇用管理制度と女性の賃金
  ⅱ 職能資格制度と女性の賃金
 2 年功賃金の性別差別
  ⅰ 年功賃金における生活給思想
  ⅱ 年功賃金における能力観
 3 賃金決定基準と同一価値労働同一賃金原則
  ⅰ 賃金の決定基準
  ⅱ 同一労働同一賃金の原則
  ⅲ 「同一価値労働同一賃金原則」
 4 日本における「同一価値労働同一賃金」原則の活用と賃金差別是正運動
  ⅰ 「同一価値労働同一賃金」原則への理解の広がり
  ⅱ 「同一価値労働同一賃金」原則の活用 
 

      



       (全文,木下稿がPDFで読めます)


  













 2023.11.15
   


◇2021年2月4日
現代ルポ研のみなさま。

 コロナ感染症の拡大で、ご不自由な毎日をお過ごしのことと存じます。
 二人の娘が、私の喜寿を祝して私が「たたかいのポルタージュ」に掲載した過去の作品を1冊にまとめてくれましたので、送らせていただきます。

 1979年(36歳)から2011年(68歳)までの間に書いた15本の作品ですが、働いていた総合商社での小さな、ある意味では、大きなたたかいの記録です。とくに「子産みの歴史」は私自身も子育てをし、保育運動にも参加しながら書いた作品ですので、拙いながらも愛着のあるものです。
 また「ソーゴーショウシヤ」と「高度経済成長を駆け抜けて、いま」は、それまでは女性労働者に目を向けていましたが、過労死をする同期の人がでたりするなかで、男性労働者にも目を向けたものです。

 私は1943年3月28日生まれですから、昨年の3月に喜寿を迎えたのですが、共働きの二人の娘は多忙を極めており、完成が年を越してしまいました。2020年という私の喜寿の年は悲しいことが続いて、いったい、喜寿とは何なのかと思っていましたが、最後に嬉しい贈り物が届きました。それが、この本です。

 すでに一度はお読み戴いたものをまとめただけですが、眠る前の睡眠薬代わりにお読みいただければ嬉しいです。

 コロナに負けず、お元気な日々でありますよう、祈念しております。

                             上田裕子

 ◇目次(各テーマごとに前文を書きました)
◇「絆」(1979年 創刊号)  

 かつて港区にあった中央労働学院のルポルタージュ教室に、私は毎週土曜日の午後、半年間通った。その頃、東京都学童保育連絡協議会の会長であったが、同時に全国学童保育連絡協議会の機関誌「日本の学童保育」(月刊) の編集委員もしていたので、短いルポルタージュらしきものを書く機会があった。自己流ではまずいと思い、一念発起して通い始めたのだった。教室は老若男女の生徒で溢れ、講師は若きドキュメント作家の今崎暁巳の熱意がほとばしるものだった。そのため、講座が終了しても生徒たちは別れ難かった。まずは卒業記念に日本機関紙協会主催の第一回ルポルタージュ・コンクールに応募しようということになったのは一九七八年の年末のことで、今崎暁巳を囲む忘年会のときではなかったかと思う。コンクールには個人応募ができないため、急遽グループを結成し、会報誌として応募することにした。
 グループ名は、志は高く大きくと、すこし照れながらも「現代ルポルタージュ研究会」と決めた。メンバーのなかに沖電気指名解雇撤回闘争をたたかっている人がいたため、沖争議団を集団取材させていただき、沖電気指名解雇撤回闘争特集として創刊号を発行した。しかし、会誌を「たたかいのルポルタージュ」としたのは沖電気争議特集だからではない。労働者の目線で労働現場を描くルポルタージュは、さまぎまな「たたかい」を励まし、人々を組織する武器になるはずだという思いからであった。
「絆」は私が生まれて初めて書いた長いルポルタージュで、コンクールでは佳作に入賞した。その時、私は三六歳、未生(ミオ)十一歳、莱生(ナオ)七歳だった。





    

 
▽以下の号が読めます(p1から)。
はじめに  長女・未生
一九七九年 創刊号『粋』
一九八〇年 二号 『早鐘をうち鳴らせ』~二日で納豆一つ~
一九八一年 三号 子産みの歴史、その一 商社の受付の椅子
一九八二年 四号 子産みの歴史、その二 道を拓いた若い小さな力
一九八三年 五号 五・二三の大きな流れのなかで=娘と「ベンセレモス」=
一九八四年 六号 子産みの歴史、その三 「働きつづけたい……」三人目を授かって

   ◇はじめに



 

    

 
▽以下の号が読めます(p68~)。
一九八五年 七号 子産みの歴史、その四 合併の嵐すぎても
一九八七年 八号 はたらくこと=片道切符の出向=
一九八八年 九号 潜水艦に友を奪われて
一九八九年 一○号 子産みの歴史、その五 迫られた選択
一九九二年 十一号 ソーゴーショーシヤ





    

 
▽以下の号が読めます(p134~)。
一九九七年 十二号 高度経済成長を駆け抜けて、いま
二○○○年 十三号 リストラ、私たちの場合
    






❖傍聴記:兼松男女賃金差別事件 彼女たちが立ち上がった理由
    

 
▽以下の号が読めます(p182~)。
二○○七年 十四号 傍聴記恥兼松男女賃金差別事件 彼女たちが立ち上がった理由
   





❖国連女性差別撤廃条約第六次日本報告の審議に立ちあって
    

 
▽以下の号が読めます(p210~)。
二○一一年 十五号 国連女性差別撤廃条約第六次日本報告の審議に立ちあって





                        ◇喜寿によせて        


      あとがき                       

  

 
▽以下の文章が読めます(p230~)。
喜寿によせて 孫たちより
あとがき 次女・菜生
   















▽2023.09.16 



『なおるアトピー 母と子のアトピーレポート (健康の本棚)』、松延正之、山岡テイ著、シーアンドシー企画協力、
労働旬報社、1991年10月25日 
『フレッシュママの子育て安心商品学』(さわやか家族シリーズ)、山岡テイ著、シーアンドシー企画協力、労働旬報社、1990年4月1日 『ファッション生活情報』、(さわやか家族シリーズ)、佐藤順子著、シーアンドシー企画協力、
労働旬報社、1988年6月1日
『さわやか暮らしの知恵シリーズ』、吉沢久子編、佐藤順子協力、労働旬報社、1987年3月1日 『季節の折々 暮らしの知恵 』(さわやか家族シリーズ) 、佐藤順子著、労働旬報社、1988年6月1日
『私の仕事えらび』(さわやか家族シリーズ) 、芹沢 茂登子/松尾 道子著、労働旬報社、1988年12月
 
『季節の折々 暮らしの知恵 』(さわやか家族シリーズ) 、佐藤順子著、労働旬報社、1988年6月1日  『女・40歳からかしこく生きる知恵ノート』、金住典子,芹沢茂登子,渡辺清共著、労働旬報社、1987年9月 『花も実も法もある―ミチ子弁護士のひらがな六法全書』(さわやか家族シリーズ) 、松尾 道子著、シーアンドシー企画協力、労働旬報社、1989年11月 
『ちひろ 愛の絵筆―いわさきちひろの生涯』、滝 いく子、労働旬報社、1983年10月1日 『ふりむけば海あおし―生きて愛して自立して』、滝いく子、労働旬報社、1986年7月
『親と子どものいい関係―NHK「おかあさんの勉強室」子育てトーク 』(さわやか家族シリーズ) 柴田頼子編、シーアンドシー企画協力、労働旬報社、1990年4月1日
 
『アンネの日記への旅』黒川万千代著、労働旬報社、1982年4月1日 『スチュワーデス志願』家田愛子著、労働旬報社、1986年12月1日 『春のソナタ―女が働きつづけるとき』、芹澤茂登子著、労働旬報社、1985年6月。(「芹澤茂登子のページ」)
『人間として女として  愛と平和に生きる』(上、小山内美江子、 滝いく子他著)、労働旬報社、1980年11月1日 『人間として女として  愛と自立に生きる』(下、鄉静子, 樋口恵子他著)、労働旬報社、1981年3月1日 『この人生に愛なくば―いのちと自立のうた』、今崎暁巳著、1981年6月1日

   
『生活と地域をつくりかえる―「願いわけ集団」づくり』、二宮厚美著、労働旬報社、1985年1月 『暮らしと女と街づくり―協同のネットワーク』、今崎暁巳・二宮厚美共著、労働旬報社、1988年1月 『いのち永遠に新し』、住井すゑ、櫛田ふき、石井あや子、矢島せい子著、労働旬報社、1985年8月
     
『じかたびの詩』全日自労建設一般労働組合、早船 ちよ編、労働旬報社、1980年8月 『おふくろたちの労働運動』、全日自労建設一般労働組合編
労働旬報社
1986年
『深谷だんらんグループ』、日本労働者協同組合連合会センター事業団・シーアンドシー出版発行、2005年3月5日、本体価格:552円+税
やるしかないでしょう――人間として、女性として、岡元かつ子さん 松沢常夫

(PDF完全復刻版)
住井すゑ 著
松沢常夫インタビュー
労働旬報社
定価 本体1,204円+税
1988年12月
住井すゑ 
労働旬報社
定価 本体1,400円+税
1989年7月1日
住井すゑ 著
労働旬報社
定価 本体1,400円+税
1989年12月
 住井すゑ 著、松沢常夫インタビュー、新潮社、1992年08月  (株)ワールドファミリー発行、編集・制作:シーアンドシー出版、1994年、A5判、2色刷  (株)ワールドファミリー、編集・制作:シーアンドシー出版、2001年、46判、1色刷
   
『凛として一途 90歳からのメッセージ』(語り:菅原藤子、ミウラユキコ著、1999年2月、企画:シャイニープラン、 シーアンドシー出版発行) 『亀田さんとりえさんからの手紙』(柴野哲郎著、 1992年10月、亀田得治・亀田りえ著、 編集 :シーアンドシー企画、労働旬報社発行) 『健康な生き方』(シーアンドシー出版、1993年11月刊)
   
『おくればせながら男の出番です』(メッセージ21、古屋和雄著、労働旬報社、1991年09月) 『本 自然がくれた“ときめき”人生紙』(メッセージ21、今井通子、労働旬報社、1991年05月)  『私たちの寅さん』(私たちの寅さん刊行委員会、シーアンドシー出版、1996年11月1日)
     
 長寿国転ばぬ先のカルシウム
「川柳で詠む ほのぼの医の風景
 
序 永六輔 
平田亮一(泉崎病院元院長・沖縄高齢協理事長)
定価1500円(税別)
46判 カバー装
2005年7月30日
   





▽2023.09.16
仕事おこしのすすめ 池上惇著
  シーアンドシー出版・協同総合研究所、1995年3月
  (PDF完全復刻版)


  1933年 大阪市生れ。
  1956年 京都大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科、同助手、助教授を経て、
  現 在(当時) 京都大学経済学部教授・経済学博士・文化経済学会会長・財政学会理事・全国共同作業所連絡会顧問。その後福井県立大学大学院経済・経営学研究科教授、京都橘女子大学(現・京都橘大学)文化政策学部長・教授を歴任
 
  著 書 『地方財政論』(同文舘)、『管理経済論』(有斐閣)、『情報化社会の政治経済学』(昭和堂)、F人間発達史観』(青木書 店)、『福祉と共同の思想』(青木書店)、『経済学一理論・歴史・政策-』(青木書店)、『財政学』(岩波書店)、『文化経済学のすすめ』(丸善ライブラリー)、『生活の芸術化』(丸善ライブラリー)、『経済学への招待』(有斐閣)ほか多数。

  • 目次

  •   序 章 仕事おこしと協同組合
    ――労働者協同組合運動の展望によせて

     一 協同組合の原点と新たな位置づけ

     ◇協同組合運動の誕生 
     ◇働くものの生活を総合的に支援する仕事おこし運動 
      ――協同組合運動の基本的な特徴
     ◇悪徳ビジネスとの競争に勝てる条件を考えよう 
     ◇公正競争の権利・生存権保障・人間発達の権利、そして、情報化社会

     二 仕事おこし・地域づくり運動の現代的意義

     ◇「よい仕事」をおこす運動の発展 
     ◇「仕事おこし・地域づくり運動」の公共性

      第一章 日本における仕事おこし運動

     はじめに
     ――仕事おこし運動の今日的意義

     一 戦前の仕事おこし運動

     ◇協同組合運動として 
     ◇賀川豊彦のマルクス論 
     ◇「雇われもの意識の克服」
     ◇ラスキンから現代的に学ぶ 
      「主体的な人間の発達」
      当時の仕事おこしの実践例
      映画制作の意味

     二 生産協同組合の仕事おこしとは何かl

     ◇消費者欲求と結んで 
     ◇生きがいをもてる仕事の回復 
      ――生産協同組合の再生
     ◇生産協同組合はむずかしい、との指摘 
     ◇生活様式の変化と結んだ独自の方向 
     ◇全組合員で運営する経営

     三 現代の仕事おこし運動の可能性

     ◇生きがいをもてる仕事の回復 
      ――ドラッカーの指摘
     ◇ほんもの志向と対人サービスの増大 
     ◇素人から始め専門職を育てる 
     ◇まちづくりの視点と結びついた協同の運動 
     ◇多様な専門家の必要性の増大 
     ◇教育と福祉でまちおこし 
     ◇新社会資本レベルの活用 
     ◇まちづくりと農村とも交流して 
     ◇「よい仕事」と公的支援の追求の重要性 
     ◇不況から脱却へ

      第二章 現代の協同労働の可能

     一 現代の疎外と労働状況

     ◇疎外状況の広がり
     ◇「人間は馬より劣っている」か

     二 協同組合発展の基礎を考える

     ◇消費者の生きがいと結び
     ◇生協が日本で伸びた理由
     ◇生活の質を変える欲求の高まり
     ◇協同組合の高揚の意義
     ◇公共と自治体からの支援の高まり

     三 労働の人間化と協同労働

     ◇労働の人間化
     ◇「情報の共有化」とネットワークづくり
     ◇潜在能力の発揮と協同組合労働

      第三章 労働者協同組合と人間発達

     一 非営利組織における人間の問題

     ◇障害者運動から生まれた発達論 
     ◇自力で学習できる環境づくり
     ◇発達段階に応じた適切な援助 
     ◇人間の交流は対話から 
     ◇非営利団体での人間発達とは? 

     二 組合をダメにする11のカギ

     ◇人間発達に逆行する「11のカギ」 
     ◇相互交信できるコミュニケーションを 

     三 仕事の発見と「社会の記憶」

     ◇価値観を転換するキーワード…
     ◇実践が「社会の記憶」をつくり出す 
     ◇「社会の記憶」は人間と組織の発達の基盤 
     ◇「社会の記憶」と共に情報の活用を

     四 能率と民主主義の両立にむけて

     ◇自らの労働のあり方を研究する運動
     ◇労働と教育を運動で結ぶ
     ◇労働者協同組合運動は国民発達保障の労働 
     ◇発達を保障する「委員会」活動 
     ◇情報機器の積極的な活用 
     ◇新しい組織論発展の契機

      おわりに
       ――仕事おこし運勤と社会改革

     一 仕事おこしと新しい時代――雇われもの根性の克服
     二 国民の生活様式の変化
     三 「生きがい」をつくりだす芸術文化の仕事おこし
     四 新しい地域をつくるために
     五 労働者協同組合運動の発展のために








2023.08.27

◇寺間誠治さんが書いた労働運動における「戦略的陥没地帯」をどうするのか

飯島信吾(「ある編集者のブログ」にUP)
(2022年05月5日(火)
 


 寺間誠治さん(2019年2月2日にご逝去。享年70歳)が亡くなって久しいが、ご本人とは「業種別職種別ユニオン運動」研究会で同席した者で、編集子は同時代を別の所で生きてきた。

 寺間さんの「労働組合運動への期待」について、過去に書いてきたものだが、全労連系やそれ以外の組合運動家にもこのようなテーマをどうしていくのか、考えていただきたく再UPした。

 ▽私が紹介した「全労連の研究」(2012.07.08)

 産業別労組づくりのビジョンを提示――全労連の現勢と組織拡大戦略(残念ながら元のデータが削除されて読めない)
 二つ目は、寺間誠治さん(全労連組織局長 寺間誠治・労働者教育協会副会長)の「この社会を変える展望新しい労働運動とナショナルセンターの役割」(第117 期基礎教室第11 回(最終)講義 <社会を変える力はどこにあるのか> 2010 年7 月3 日)。この当時の肩書で、現在は政策総合局長。

 冒頭に掲げられている3つの柱は、以下の通り。
 ① 労働組合こそ使用者と対等に渡り合えるツール。社会的連帯がユニオン運動を通じて実現している
 ② ナショナルセンターとは何か。 一国の労働者の労働条件の水準は、その力量に規定される
 ③ 情勢は激変。未来を拓くために、個人を尊重した労働運動の再構築へ
 講義録のレジュメだが、全労連がどのような分野に力を注いでいるかが分かる。
 第一に、「社会的正義の実現~非正規に向かうユニオン」と、「新しいユニオン運動前進の背景」を示している。
 ①製造大企業における違法派遣の急増と法的・社会的責任放棄に対する批判
 ②労働力流動化と賃金・労働条件決定システムの変化
 ③企業別組合の閉鎖性への批判と社会的労働運動への支持と共感
 ④ローカルユニオンの自主性・多様性の魅力
 ⑤青年労働者の意識変化

 その次に、寺間さんが掲げている柱が大事だ。
 ②組織的空白地帯
 1.製造大企業構内の広大な非正規労働者(戦略的陥没地帯)
 2.流通・サービス産業(小売10.2、サービス4.6%)
 3.中小零細企業(99人以下1.1%)
 「戦略的陥没地帯」と書かれている、大企業製造業における「労働オルグ」の組織配置が、今後の全労連のゆくえ・未来の戦略を決定するのではないか。
 アメリカ映画ではないが、工場・大規模店舗の外から「女性オルグが組織化を行う」ルポルタージュが書かれる時代だ。
そのために、「合同労組の研究」を示しながら、以下のような「産別組織の紹介と改革方向」を示している。

 ▼日本型産別組合~産別交渉権を持つ単産
 全国港湾、海員組合、私鉄総連、プロ野球選手会、建交労(ダンプ、生コン)、UIゼンセン(NCCU)
 産別組織の改革方向
 1.産別労使関係機構の確立=産別団交と産別協約締結にむけた戦略構想
 2.産別ユニオン(個人加盟一般般労組)の確立=企業横断的機能の強化
 3.ローカルユニオンと産別ユニオンの地域的連帯強化
 →組織改革への模索:映演労連、生協労連、金融労連、全建総連…。
 ▼組織改革の戦略的方向、必要な検討課題
  1.理念:未組織の組織化は日本労働運動の改革
  2.運動論:地域運動と教育学習を通じた企業別組合の内部改革への努力
  3.組織論:地域ユニオンの構築と産別ユニオンによる企業別組合改革
 ▼おわりに~新自由主義改革ではなく新たな福祉国家へ
  新たな福祉国家へ~全労連「雇用の安定を求める研究会」発足
  憲法13条 「団結強制」ではなく、個人を尊重した運動の再構築へ
  連帯の絆に包まれた個人は、他人への攻撃(不正)を自己のものとして行動
 『若者よ、マルクスを読もう』(内田樹「共産党宣言」より)

 全労連における「産別組織」づくりでは、旧運輸一般、建設一般全日自労などの「産業別・地域別一般組織づくりの経験(失敗も含めて)」を再考してほしい。その周りに、金融や電機、食品、印刷、航空などの新しい「一般労組」づくりと全労協・連合の単組と「共同」する度量が欲しい。
 首都圏ユニオンを生みだした、公共一般労組などの経験も、身近にあるのではないだろうか。









2021.06.05
【参考】『週刊朝日』(2021年6月11日号))書評で紹介!
斎藤美奈子さんの書評:「ユニオンは下層労働者が貧困からはい上がるための武器」(木下武男著:『労働組合とは何か』、岩波新書)
   








2022.08.30
   

       (上記をクリックして、新ページへ)

 
 

 





   
   



 
▽2021.02.09
 




シーアンドシー出版の関連出版物
   
●『協働の未来に光あれ! パラマウント製靴の歩みと労働者生産協同組合へ』(パラマウント製靴共働社の石井光幸さんが編集した。シーアンドシー出版刊、1995年8月、B5判並製、400頁)
●『皆でたたかった50年――全日自労三重県本部の歴史』
全日自労三重県本部・協同総合研究所編、
シーアンドシー出版、1996年
46判上製
●『AARPの挑戦-アメリカの巨大高齢者NPO』
日本労働者協同組合連合会編
シーアンドシー出版
1997年10月、定価2,000円 (税別)、46判:257p











「現代労働組合研究会」のページ


 


 


 


 


 



 



   


   

 



 



 



 



 



  2023.05.27UP








 

 



現代労働組合研究会のHP
  
  労働組合・ユニオンの動向
  それぞれの労働運動史・論 1
  それぞれの労働運動史・論 3
  それぞれの労働運動史・論 4
  労働組合・労働問題の本
  ユニオンショップを超える
  連合を担う人たち
  全労連を担う人たち
  
全労協をになうひとたち
  インフォーマル組織の過去・未来




「労働組合とは何か」のページ 


編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
企画インターネット事業団
制作: インターネット事業団(本メールにご連絡ください)

UP 2022年12月02日 
更新 2023年10月10日
更新 2023年10月11日
更新 2023年10月15日
更新 2023年10月23日